農業の魅力

家康に学ぶ!胆力と我慢

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2020年から青森県で農業事業を始めた髙田貴寛です。

運営している農場名は『TRYFARM』といい、とことんこだわったトマト作りを行っており、糖度、酸味、味の濃さ、旨味を追求した栽培研究を日々繰り返しています。

将来的には日本全国、世界各国へトマトを届けたいと考えていて、少しずつ形にしていくべく試行錯誤の毎日です。

トマトという武器を磨きながら、常に新しい可能性も模索していきます。

さて、今日は『海道一の弓取り』こと『三河の竹千代』こと、徳川家康から学んだことをエピソードを交えて書いてみたいと思います。

日本人なら誰でも知っている徳川家康。

(うつけ)織田信長・(さる)豊臣秀吉と並び、(たぬきじじい)徳川家康は三英傑と称されている天下人ですね。

皆さんは徳川家康に対して、どんな印象を抱いていますか?

「うつけ」と「さる」に比べやや派手さに欠ける印象の「たぬきじじい」ですが、幼少期から続く我慢我慢の日々を知ると、人間としての生き方・大将としての振舞い方・視座を柔軟に変えることの重要性など、、、

私は学生時代から歴史上の人物の人生に思いを馳せ、想像する癖がありましたが、幼少期の不遇を乗り越え、天下人にまでのし上がった徳川家康の胆力と我慢には憧れと男らしさを感じていました。

では、私が徳川家康から学んだことをエピソードを交えて簡単に紹介してみます。

胆力

三河(愛知県)の小大名の下に生まれた家康は、政略的な意味を多分に含んだ形で、織田氏→今川氏と幼少期から有力大名の所へたらい回されるように人質となっていました。

織田氏の人質下では、信長に『そら、馬に乗れ』『そら、泳いでみろ』『川には河童がいるぞ』とまだ小さい小さい幼少期の家康にとっては怖いはずの難題ばかり浴びせられたそうです。

当然のように、『馬からは落馬』『川では溺れ』『河童に怯えて震える』といった状態だったそうです。

しかし、信長に『痛いか?』『溺れて死ぬところだったな』『河童が怖いか?』

と聞かれた家康は『いいや痛くない』『もう少しで泳げた』『怖くはない寒さで震えていただけだ』と答えたそうです。

その回答を聞いた信長は【こいつは野放しにしておくと虎になる】と見抜き、それ以来『三河の弟』と家康を可愛がり、後に、死ぬまで切れることがなかった織田徳川同盟を結ぶに至ります。

今川氏の人質下では、とある年の正月に今川氏の館では、今川氏の家臣一同が集まる宴が催されていたそうです。その時、今川家臣が『お前が三河のいくじなしの小倅か』と家康を馬鹿にしたそうです。

人質の身ですので、普通ならば恐れなどから、我慢しその場を無難にやり過ごすものですが、幼少期の家康は違いました。

突然その場を立ち上がり、縁先にヅカヅカと歩いていき、突然ボロンと下の(竹千代)を放り出し、小便を始めたそうです。

これに今川家臣は唖然としたそうですが、今川の有力家臣であった、関口親永が家康の胆力を気に入ったこともあり、娘の瀬名姫を家康に嫁がせるに至ります。これは家康が今川氏の人質時代の出来事です。

このように、徳川家康は人質といえども、三河大名の次期当主としての意地を忘れず貫き通し、前向きに道を切り開いていった胆力の男でした。かっこいい。

我慢

前述したとおり、家康は幼少期から有力大名の人質として過ごしていました。その期間なんと6歳~19歳とも言われています。この幼少時代から我慢我慢の日々が続きます。

・破竹の勢いで勢力を拡大していった信長と同盟を結ぶものの対等な同盟ではなく、ほぼ家臣同様。

・信長の命令で、妻である瀬名姫(築山殿)と実子である信康の殺害。

家康は家のため太平の世のためにただただ耐えます。

しかし更に我慢は続きます。

・信長の死後、神がかり的なスピードで天下を引き継ぐ形になった豊臣秀吉。貢献度やパワーバランスで考えると家康が引き継いでもおかしくなかったが、秀吉を助け、豊臣家の隆盛に協力する。

・完全に豊臣家の世になった後、家康がそれまで必死に築いてきた祖父の代から続く三河(愛知)の土地から全くの未開の土地であった関東(江戸)へ領地替えを命じられるが、これを受け入れ、関東をゼロから開拓する。

そして、その関東の地で虎視眈々と、力を蓄え、食生活や調合薬を積極的に勉強し長生きをする努力を怠らず、我慢強く時を待ち、秀吉が死んだ後、関ケ原の戦いで勝利し、大阪の陣で豊臣家を滅ぼし、ついに天下人になり、念願だった太平の世の礎を築き、74年の生涯を閉じます。かっこいい。。

おまけ(ユーモア)

徳川家康の人生において、死ぬほどの大敗北となった、甲斐の巨獣・武田信玄との一大決戦となった『三方ヶ原の戦い』。

見事に死ぬほど大敗北を喫した徳川家康。

命からがら、城まで逃げ帰ります。

その道中、あまりの必死さに、盛大に『』を漏らしたそうです。

そして、あまりの必死さに糞を漏らしたことに気づかなかった家康は、城に戻ったあとに、家臣に指摘されます。

『家康の大将!クソ漏らしてますよ!!』

そして家康は冷静な顔で一言。。。。

『馬鹿野郎。これは味噌だ。。。。。』

最高かよ。。。

最後に

家康の言葉でこんなものがあります。

『人の一生は、重き荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず』

一歩一歩、時には我慢し、時には遠回りをしながら、大志に向かって精進していきます。人生は良いものです。

それでは次回時間を見つけて書きます!

また!

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